税務・会計顧問や経営相談をはじめ、確定申告書作成・記帳指導まで、公認会計士・税理士・中小企業診断士の有資格者がお悩み・ご相談を承ります。


宮崎県の公認会計士・税理士・中小企業診断士

いすず税理士法人延岡事務所

〒882-0041 宮崎県延岡市北小路9番地8    

お気軽にご相談ください

0982-29-2085

営業時間:月〜金 9:00〜17:30

代表者プロフィール

代表者プロフィール

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【プロフィール概略】

代表 中村啓利 1976年(昭和51年)京都市生まれ。

立命館大学経済学部卒業後に公認会計士試験に合格。その後、大阪市の監査法人で10年近く勤務し、2011年に監査法人を自主退職して、縁のあった宮崎県北部である延岡市に移住。2012年に延岡市北小路にて公認会計士・税理士事務所を開設。2022年にいすず税理士法人延岡事務所として法人成りし、法人として宮崎県北部3拠点で運営。

延岡市・西臼杵郡・日向市・東臼杵郡を中心に、児湯郡・宮崎市までの関与事業所に訪問させていただいております。

【国家資格】
  • 公認会計士 (登録番号20643)
  • 税理士 (登録番号119982)
  • 中小企業診断士 (登録番号409840)
【その他資格】
  • 医療経営士3級
 【趣味】
  • 読書(40代)好きな作家:村上春樹、カズオイシグロ、スティーブン・キング、ボブ・ディラン
  • 読書(20~30代)好きな作家:島田荘司、 沢木耕太郎、司馬遼太郎、塩野七生、京極夏彦、山岡壮八、貴志裕介など(敬称略)
  • 散歩 :音楽を聴きつつ考えごとをしながら延岡城跡周辺を散歩しています。
  • 料理:コロナ禍を契機に料理をはじめました。
【目標】

 長年の監査法人の経験を経て、2012年8月に宮崎県延岡市で開業いたしました。
 組織を離れ、一個人として中小企業の経営者であるお客様と同じ立場となることで、お客様のために何ができるかを昼夜考え、お客様に感謝されるような経営支援サービスをご提供していくことが、私の目標です。
 少しでも世のため人のため、そして、地域経済のために貢献することができれば、これに勝る喜びはありません。

【行動指針】

  1. 常にお客様に誠実であること
     間違いに気付いた場合には、それを認め直ちに是正措置を講じることでもあります。
     
  2. サービスの提供は売り手・買い手・世の中のため(三方善し)になること

     自分だけが利益を得るのではなく、必ず取引相手も利するサービスを提供し、さらには、サービスの提供自体が世の中のためになるものでなければいけないと考えています。
     
  3. 対面でのコミュニケーションを重視すること

     電話やメールでの対応でよい場合であったとしても、可能な限りお客様その他対人関係のすべてについて、対面でのコミュニケーションを優先して選択することを目指します。
【実績】

上場会社及び上場準備会社に対する財務諸表監査及び内部統制監査業務。
株式上場準備、内部統制評価制度の導入、国際財務報告基準の導入支援業務。
法人・個人事業主の会計税務顧問、税務申告業務。

【経歴】
  • 大原簿記専門学校京都校にて勤務(1999年7月~2002年3月)
    公認会計士受験講座の原価計算講師として業務に従事。
     
  • 有限責任監査法人トーマツ大阪事務所にて勤務(2002年10月~2011年7月)
    監査部門にて様々な業種・規模の財務諸表監査業務等を経験した後、マネジャー(管理職)として監査業務・コンサルティング業務のマネジメントや組織開発に携わる。
     
  • 後藤税理士事務所(現:いすず税理士法人)にて勤務(2011年8月~2012年7月)
    税務及び会計相談や分析資料の作成に基づく経営支援、税務申告書作成、経営計画書の作成、公益法人新制度移行支援業務に携わる。
     
  • 中村会計事務所(中村啓利税理士公認会計士事務所)を開設(2012年8月~2022年6月)
    税務会計顧問契約に基づく月次会計支援・申告代理、創業支援、法人成り支援、企業再生のための経営改善計画書作成支援、会計監査、公益法人会計支援等、財務会計及び税務を中心とした経営支援サービスを提供。
     
  • いすず税理士法人延岡事務所(中村公認会計士事務所)を開設(2022年7月~現在)
    税理士業務はいすず税理士法人にて、公認会計士業務は中村公認会計士事務所にて、宮崎県中央部から北部にかけて、幅広い業種のお客様に税務・監査・経営支援サービスを提供。

人生を振り返って

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~公認会計士試験のトラウマ~

 公認会計士試験を受験しようと考えたのは大学3年目の時でした。
 思い立ってすぐに受験勉強を始めましたが、当時は就職状況がそれほどよくなかったため就職から逃れたい気持ちがそのまま試験勉強に向かいました。大学の所属が経済学部であったということもあり、安易に経営関係の国家試験を受験する選択をしました。

 しかし、そこから、いままでに経験したことのない長く苦しい時期が始まりました。

  私にとって公認会計士試験はとても難しい国家試験でした。

 勉強を始めた最初の2年間は、勉強の仕方・方法がわからず、とりあえず寝る時間以外は勉強していれば勉強以外のことが頭にはいることがなく合格するだろう、との安易な考えがありました。朝8時くらいから夜の9時くらいまで、食事と睡眠と専門学校への移動時間以外は365日すべて机に向かうという毎日を過ごしました。

 合格の保証はなく将来の不安につつまれながら、人との接触も少なくひたすら机に向かう毎日は、まともに勉強したことのなかった私にとって想像以上につらいものでした。唯一の逃げ道は、勉強そのものを楽しむように努力するということだけです。したがって、会計学や法学(当時は商法・民法)、経営学や監査論をひたすら勉強してその内容を楽しむという心理状態になれるように努力しました。

しかし、長時間の勉強の甲斐もなく、年1回実施される試験には立て続けに3回も落ちてしまいました。

 2回目以降は専門学校の講師をつとめながらの勉強でしたが、基本的には勉強しかしないわけですから、家族にも多くの迷惑をかけました。祖母が病気で亡くなったのもこの時期です。亡くなる前は病気で介護が必要な状態でしたが、私は勉強と仕事で手一杯でしたので、介護にはまったく協力することはできませんでした。父からは、家族に協力できないのであれば家をでるしかないと言われたことは、いまも心に残っています。

 受験回数を重ねるごとに人生に対する明確な不安やプレッシャーが強くなり、最後の受験のときには、受験日1か月前から、試験に落ちる悪夢で朝6時前に目が覚めるという毎日が続きました。

その頃は京都市大宮の六畳一間の日が射さないアパートを借りていて、食費と水道光熱費、家賃以外の出費はなかったにもかかわらず、収支はぎりぎりでした。自分でごはんをたいて、昼の弁当を自分で作るという毎日でした。洗濯機はアパートに備え付けのものが1台で、それを入居者全員で使用していました。

 昼の弁当は、ごはんにふりかけをかけたものと前日の夜にスーパーで買った惣菜で、そして晩御飯はほぼ安売りの牛丼屋が多かった生活でしたが、若さもあったのか食事や住居に関しては大して苦になりませんでした。

 4回の受験と5年間の勉強を通じてわかったことは、受かることを自分に強く義務付けて勉強する時ほど、トラウマとなるほどのプレッシャーに見舞われるということでした。「受かればいいな」と思って受験したこともありましたが、その時はまったくプレッシャーを感じず、試験前でも悪夢をみるということはありませんでしたが、そのときは合格することはできませんでした。

長い世間との隔絶の時間を経て、5年目(受験回数は4回目)に合格したときは、喜びと興奮のあまり体が痺れる感覚があり、寝不足であるにもかかわらず、それから一昼夜は眠ることができませんでした。
 ようやく眠れたのは二日目でしたが、その眠りはなんと、不合格だった悪夢によって朝6時にさえぎられたのです。

 その後、不合格の夢は何年も続き、試験の合格は私にとって困難に打ち勝つ自信と同時に、不合格の夢というトラウマをもたらしました。公認会計士の合格発表は当時は10月初旬でしたので、いまでもその時期に咲き誇る金木犀(きんもくせい)の香りがすると、苦しかったときの思い出がよみがえります。

~独立開業に至った考え~

 公認会計士試験合格後、幸運なことに、すぐに大阪市にある監査法人に就職することができました。

 監査法人では上場会社等の監査チームの一員として仕事をすることになりました。不動産会社、建設会社、飲食サービス業、運輸業、製造業、信用組合、ITベンチャー、小売業など様々な業態のお客様と仕事をさせていただくことができました。

 もちろん、失敗も数多く経験しました。今はまだ恥ずかしさもありあまり書けませんが、入社当初1年間は特に、対人関係のコミュニケーションや基本的なビジネスマナーがなかなか体得できず、入社1年目はお客様のところに伺うのがためらわれ、毎朝一日が始まるのが憂鬱な日々が続きました。

 その後永らく、プロフェッショナルとして高い意識をもった監査チームやお客様である関与先の方々に恵まれ、さまざまな経験を積ませていただくと同時に、やりがいのある多くの仕事に従事させていただきました。

しかし一方で、長年お客様と直に接していると、お客様が本当に望んでいるサービスと自分が提供しているサービスに、大きく違いがあるのではないかという疑念が生じてきました。


 それは公認会計士の社会的役割にも起因することではあるのですが、公認会計士は時としてお客様ではなく資本市場のためを優先して行動する必要があると私は感じていました。仕事は第一にお客様のため、という考えが根底にありましたので、徐々に、お客様が本当に望んでいることを自分の経験と知識をつかって、組織と違う形で提供したいという気持ちが大きくなっていきました。

 そして、いつしか、(自分の思うようなサービスを提供したい)(自分の思い通りに自由にお客様と接してみたい)という気持ちが日増しに強くなっていくのを感じていました。

 そんな考えが大きく膨れ上がっていた折、家内の実家が宮崎県門川町にあり、義父が宮崎県日向市で税理士事務所を経営していることから、そこで税務実務を学ばせていただけるという話をいただきました。
 自分の気持ちと経済環境、そして生活をとりまく環境の変化をとらえて、永らくお世話になった監査法人を自主退職し、独立開業へ向けて宮崎県に移住することとなったのです。

~開業準備と中小企業診断士試験への挑戦~

永らくつとめた監査法人を退職すると決めたときから、自分のこころ・気持ちは開業準備に向かい始めました。
 

 開業まで多くの時間がありましたので、この時間をどのように使うか悩んでいました。
 また、独立開業すると決めたときは、気持ちが最も昂ぶっている時期でしたので、なにかその気持ちをぶつける対象を探しました。そこで、考えたのが中小企業診断士試験への挑戦です

私が移り住むことを計画していた宮崎県延岡市は、現在は公認会計士が一人もいないということを知っていました。それは公認会計士としての仕事が少ないことを意味していると思います。一方で、公認会計士は税理士登録によって税理士業務を行うことができるため、税理士業務の仕事の数は多いのではないかと予想していました。

 しかし、税理士の仕事をするうえで、公認会計士という資格は逆に弊害になるのではないかとの不安もありました。

 なぜなら、公認会計士は大企業のみを顧客とする(※実際はそうでもないのですが)、という意識を持ってらっしゃる方がとても多いためです。
 組織を退職し、一人となったときにお客様となるのは、ほぼすべて中小企業です。その最大のお客様である中小企業から、「公認会計士はわたしたち中小企業とは関係ない」と思われてしまえば、その時点で顧客拡大機会は失われてしまいます。これは本当に恐ろしいことです。そこで対策の一つとして考えたのが、中小企業診断士資格を取得することでした。

 中小企業診断士はその名のとおり、中小企業をお客様とする商売であることが資格名称から明確ですから、ファーストコンタクトの時点で「うちとは関係ない」と思われることを避けることができると考えました。

 また、中小企業診断士試験の半分ほどは、実は公認会計士試験の勉強内容と重複しています。さらには、勉強内容のみならず、1次試験は択一式、2次試験は論文式と面接式といったように、試験の方法も似通っているのです。公認会計士試験を受験したことのある私には、したがってかなり勉強を始めやすい試験だったのです。また、これからの税理士は、税務・会計のみならず経営そのものにも深くかかわり、助言ができるようにならなければいけないという、強い思いもありました。

 しかしながら、これがまた苦しい時期の始まりとなりました。

 中小企業診断士試験は、勉強内容は非常に面白く始めやすい一方で、経済産業省管轄の国家試験ということもあり、とても難関の試験であったのです。

 単純な1発合格率は4%前後と、合格率では他の国家資格を軽く凌駕する試験であるということを、恥ずかしながら勉強を随分進めるまで知りませんでした。 勉強を進めたときはもうすでに沢山の方にお話しした後でしたので、いまから勉強をやめるというわけにはいかない状況にありました。

 かなりの勉強時間を費やしたにもかかわらず、専門学校の1次試験の模擬試験では合格ラインには届きませんでした。しかし受けるからには合格したいとの気持ちがありました。このような、なんともいえない苦しい心理状態が、遠く記憶の淵に眠っていた公認会計士試験のときのトラウマを再び呼び起こしたのです。

 そんなとき、あのいまだ収束していない3月11日の東日本大震災が起こりました。あのとき、私は有給休暇の一部を消化しているときで、ちょうど大阪の梅田にある専門学校の教室で中小企業診断士1次試験の勉強をしているところでした。非常に長く大きいゆるやかな揺れが感じられ、教室には20名ほどの方がいましたが、全員が自主的に階段で避難をするという選択をしました。まだそのときは、どこで起こった地震かわからないにもかかわらず全員が避難するという揺れの大きさと長さだったのです。屋外に避難し、しばらくたったのちに、ビルのアナウンスで三陸海岸沖での地震であるということがわかりました。大阪であの揺れの大きさでしたので、これは大変なことがおきたと思い、すぐに帰宅しました。幸い自宅や親族等は無事でしたが、その後数多くの方が被災されたことがわかり、とてもショックを受けました。

 その後、努力して勉強を続け、なんとか合格ラインぎりぎりで1次試験に合格することができました。

 1次試験の自己採点で合格を確かめた直後に宮崎に移住しましたので、2次試験の勉強は宮崎県延岡市の図書館ですることになりました。初めての環境と初めての勉強、そして合格しなければいけないというプレッシャーと試験の難易度の高さで、かなり精神的に苦しい思いをしました。反省を踏まえて、公認会計士試験のように逃げ出すことをせず、最後までがんばりましたが、専門学校の2次試験の模擬試験の結果は、これまた散々な結果となりました。

 最終的に2次試験には運よく合格することができましたが、実際の試験はとても難しく、受験した直後は合格の手応えは全くなく、いまだになぜ合格できたのかわからない気持ちがあります。受験直後は、勉強のつらさ、試験の難易度を考えて、もう再度受験することはやめようと心に誓ったことを覚えています。

 このようにして、運よくいくつかの国家資格を取得することができましたが、資格の取得は、あくまでスタートであってゴールではありません。ようやくスタートラインに立てたところだと実感しています。36歳という遅めのスタートですが、人に教わったり、人に助けていただいたり、感謝の気持ちを常に忘れず、日々精進していきたいと考えています。

~これからの中小企業の経済環境について~

 お客様が税理士に望まれるサービスの一つとして節税対策が挙げられますが、いわゆる節税対策の多くは、利益を計上している業績の良い会社であることが前提とされています。

 昨今の厳しい経済情勢の中、中小企業の多くが利益を計上することが困難な状況にあり、節税対策云々の前にいかに利益を計上するか、業績を向上させるか、といったことが第一義的な課題となっています。

 また、景気動向により大きく左右される法人税の増収が見込めない中、安定した税収の見込まれる消費税が増税の流れとなっています。このような状況のなか、消費意欲減退の可能性をはらんでいる消費税増税に対していかに業績を維持し向上させるか、消費税の納税資金を確保するためにいかに資金管理(キャッシュフロー管理)を行うかが、これまで以上に重要な課題となってきます。

 私は公認会計士・税理士の資格のみならず、唯一の経営コンサルティング国家資格である中小企業診断士の資格も有しております。これまでの経験をもとに、決算数値を分析することで、業績向上・資金管理の充実を目指すお客様を全力でサポートいたします。

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